2009年09月16日
ある胸打たれた話 ②

弟が小学校に入った。入学式の日、教室で席順が決まった。するとどうしたことであろうか、弟の隣に、左手が小児麻痺で不自由な子がすわってしまった。お母さんは愕然とした。この子はなんという運の悪い子なのだろう。家でもお兄ちゃん、学校へ来ても体の不自由な子の隣り。
その晩、両親は家をよそに引越しをしようか、それとも弟を転校させようかと、明け方まで相談した。
最初の体育の時間。先生はこの手の不自由な子が、どんな風にして体操着に着替えるのか、ほうっておいた。頭はいいのだから、何とかするだろうと思った。しかし、この子は、体育の時間が始まって30分もしてから、やっと校庭にはずかしそうに出てきた。
先生は悪いことをしてしまった、手伝ってやればよかったと後悔したが、それではこの子は集団の中で、いつまでも人の世話になって行かなくてはならない。手伝ってやることが果たしてこの子のためになるのだろうかと考えた。
次の体育の時間、先生はもう一度放っておいた。するとどうだろうか。先生が校庭に出ると、この体の不自由な子が他の子と一緒にきちんと並んで待っていたのである。
先生はびっくりした。いったい、どうやって着替えたのだろう。その次の体育の前の休み時間に、先生は柱のかげから、そうっと教室の中の様子を見ていた。
そこに驚くべき光景が見られた。前の時間が終わり、先生が教室を出るやいなや、あの弟がまず全速力で自分の着替えをし、それから、隣りの子の着替えを一所懸命手伝い始めたのである。他の子はわいわい騒いで校庭へ飛び出していく。そんなことには目もくれず、弟は半袖の体操着を不自由な手に通してやっている。母親でも難しい仕事である。
始業の鐘が鳴った。すると二人は手をつないで、校庭に向かって走って行ったのである。
先生はこの弟をほめてやろうと思った。しかし、ほめてしまっては、この次から、先生にほめられたからやるんだ、ほめられるからやるんだということになる。それではこの弟の美しい心はいっぺんに汚されてしまう。
そこで先生は、心を鬼にして黙っていた。胸の中に、弟に対する感謝の涙が溢れるのを我慢して、体育の授業を続けた。
(次回につづく) 出典は最後に記述