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Posted by おてもやん at

2009年09月23日

    義歯を使われる方へのお口の若返り法のご提案

 むかしは義歯(入れ歯)というと、加齢の代名詞のような悪いイメージが先行し、心理的にも敬遠されていました。しかし脳科学や抗加齢アンチエイジングの研究から、その意義が再評価され、義歯は認知症や寝たきりの予防はもとより、より若々しく生きるための大変重要な医療器具として認められるようになってきました。
 たとえば足の不自由な方が、杖を使われるように、また視力が低下すればメガネを掛けるように、それを補助する器具が必要となります。 
 口の中はとても敏感なところで、脳は顎を動かすため、上下の歯の噛みあわせをひと噛みごとに判断し、顎の動きをコントロールしています。に豆ができたり、が痛かったリすると自然に歩き方が変わります。口の中はもっと敏感ですから、もし義歯が合わないまま使っていると、その動きはとても不自然な動きをすることになります。それが毎回のことになると癖になり、今度はあたらしい義歯が入ってもまた同じ不自然な動きを続け、そのためまた義歯が合わなくなってしまうのです。ですから義歯を入れるために、それをうまく使いこなすためのトレーニングが必要になります。さあそれでは若返りと老化防止のためにうまく義歯を使いこなすトレーニングを始めましょう。

1. 舌のマッサージ
 舌も筋肉のかたまり。ティッシュではさんで縦・横マッサージしましょう。痛みのあるところは舌が不自然な動きをして凝っている場所です。

2. 舌の回転運動
 唇と歯茎のあいだに舌を入れ、ぐるっと動かしましょう。唇の縦シワ、ほうれい線のある場所は念入りに伸ばしましょう。ちょうど裏側からアイロンをかけるようにするとお肌に張りがよみがえってきます。リンパの流れがよくなり、美肌に効果的です。

3. 噛み方のトレーニング
 義歯を使う場合、いきなりもぐもぐするのでなく、一口ぶんの食物を口に入れたら、お箸を置き、右か左か一方でまっすぐ噛むようほっぺに手を添えて噛む訓練をします。

 わたしたちは赤ん坊の頃、何年も食べる訓練をして、ようやく食べられるように学習しました。歯がなくなればそれにあうように訓練が必要です。簡単な練習を続けることで若さと健康がよみがえり、脳が活性化されます。噛む効用を再評価してみましょう 。 
  


Posted by kenkouarisa at 17:56Comments(0)口は何のためにあるか

2009年09月16日

ある胸打たれた話 ②




 弟が小学校に入った。入学式の日、教室で席順が決まった。するとどうしたことであろうか、弟の隣に、左手が小児麻痺で不自由な子がすわってしまった。お母さんは愕然とした。この子はなんという運の悪い子なのだろう。家でもお兄ちゃん、学校へ来ても体の不自由な子の隣り。
 
 その晩、両親は家をよそに引越しをしようか、それとも弟を転校させようかと、明け方まで相談した。

 最初の体育の時間。先生はこの手の不自由な子が、どんな風にして体操着に着替えるのか、ほうっておいた。頭はいいのだから、何とかするだろうと思った。しかし、この子は、体育の時間が始まって30分もしてから、やっと校庭にはずかしそうに出てきた。
 
 先生は悪いことをしてしまった、手伝ってやればよかったと後悔したが、それではこの子は集団の中で、いつまでも人の世話になって行かなくてはならない。手伝ってやることが果たしてこの子のためになるのだろうかと考えた。
 
 次の体育の時間、先生はもう一度放っておいた。するとどうだろうか。先生が校庭に出ると、この体の不自由な子が他の子と一緒にきちんと並んで待っていたのである。
 
 先生はびっくりした。いったい、どうやって着替えたのだろう。その次の体育の前の休み時間に、先生は柱のかげから、そうっと教室の中の様子を見ていた。
 
 そこに驚くべき光景が見られた。前の時間が終わり、先生が教室を出るやいなや、あの弟がまず全速力で自分の着替えをし、それから、隣りの子の着替えを一所懸命手伝い始めたのである。他の子はわいわい騒いで校庭へ飛び出していく。そんなことには目もくれず、弟は半袖の体操着を不自由な手に通してやっている。母親でも難しい仕事である。
 
 始業の鐘が鳴った。すると二人は手をつないで、校庭に向かって走って行ったのである。
 
 先生はこの弟をほめてやろうと思った。しかし、ほめてしまっては、この次から、先生にほめられたからやるんだ、ほめられるからやるんだということになる。それではこの弟の美しい心はいっぺんに汚されてしまう。
 
 そこで先生は、心を鬼にして黙っていた。胸の中に、弟に対する感謝の涙が溢れるのを我慢して、体育の授業を続けた。



(次回につづく)  出典は最後に記述
  


Posted by kenkouarisa at 20:33Comments(0)菅 健一です

2009年09月03日

ある胸打たれた話 ①




 北陸での話。
上の男の子が生まれて間もなく高熱を発し、
かわいそうに精神遅滞になってしまった。
弟が生まれて、口がきけるようになった2歳の時であった。
ある日、弟がお兄ちゃんに向かって、
「お兄ちゃんなんか、バカじゃないか」と言った。

 母親はこの弟をその場で叱ろうと思った。
しかし、このお母さんは、まあ、待ってみよう、
この弟は多分私たち夫婦がいなくなったあとには、もしかすると、
このお兄ちゃんの面倒をみてやらなくてはならないようになるかも知れない。
その時になって、やさしくしてあげてねと言っても手遅れである。
いま、この小さいうちに、何とかしてお兄ちゃんをいたわる心を育ててやりたいと、そう思った。

その日から、お母さんは、弟がお兄ちゃんに言った言葉を、毎日毎日、ノートにつけはじめた。
1年たち、2年の歳月が流れた。
しかし、相変わらず弟の口から出るのは、
お兄ちゃんのバカ、お兄ちゃんはバカ、だけであった。
お母さんはなんべんもあきらめようと思った。

 弟が幼稚園に入った。
七夕の日であった。
どうしたわけか、近所のこどもや親戚の人がたくさん家に集まった。
あまり人が来たので、お兄ちゃんは少し興奮したらしかった。
そこにいる人たちの頭を、ポンポンとぶちはじめた。
やめなさいと言いたいのだが、こういうかわいそうな子どもなので、みな言い出しかねていた。

 そのときである。隣の部屋から、小さい弟がパッと飛び出してきた。
そして、お兄ちゃんの体にすがりながら叫んだ。
「お兄ちゃん、ぶつならボクだけぶってッ。ボクは痛いっていわないからッ。
ね、ね、お願い、お兄ちゃん、ボクだけぶってッ」

 それはお母さんが長い年月の間、待ちに待っていた言葉であった。
その晩、お母さんはあふれる涙を押えながら、
いつものノートにぎっしりと一つの言葉を書いた。
「坊や、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、
ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・・・・・・・・・・・・・・」
そこには、ありがとうしかなかった。
 人間がほんとうに感動した時とはこんなものである。

(次回につづく)
  出典は最後に記述  


Posted by kenkouarisa at 19:48Comments(0)菅 健一です