2012年06月25日
いい話のおすそわけ 「生きる」
道づれ
人間は生・老・病・死の四苦を背負っているとお釈迦様は説いている。
もうすぐ80歳を迎える私の妻も最近はもの忘れが多くなり、病院通いを始めるようになった。
その時は私も付き添って行くことにしている。
今のところ日常生活に大きな支障はないが、大切なものをどこにおいたのか思い出せないなどは珍しくなくなった。
先日も調剤してもらった薬を、その日のうちに紛失してしまった。
昔から長寿はめでたいこととされているが、今後の暮らしの中では、不都合なことにもいろいろと出会うことだろう。
私の人生は出世などとは無縁であったが、妻はそのことを一度も口にしたことはなかった。
下積み労働者としての私の生きざまを黙って支えてくれた。
世の中には人を押しのけてでも地位や肩書きを欲しがる人も多い。
世俗的な価値観を捨てることはそれなりに寂しさを伴うが、私の道づれである妻は共に歩いてくれた。
現在、私たち夫婦は多くの方の「おかげ様」に支えられ穏やかな暮らしを続けさせてもらっている。
ありがたいことである。
しかし、人生劇場の幕はいつ下ろされても不思議ではない。
案外早くその日が訪れることもあるだろう。
確実に言えるのは、どんな円満な夫婦であっても、いつかは別離の日を迎えるということ。
生別か死別かの違いはあるにしろ、万が一にも避けることのできない厳粛な人生の真実であることは、誰も否定できないと思う。
世界の70億人の中から、1組みの夫婦が誕生し、共に生きるということは、人知を超えた不思議な縁だ。
まさに運命的なものが感じられる。
私たち夫婦にも、これまでいろんなことがあったし、これから何がおこるのか分からない。
それが人生というものだろう。
別れの日を迎えるまで、道づれの手を離さないように、これからもしっかりと歩き続けたいと願っている。
熊本県菊池市 松岡光さん(80) 熊本日日新聞の投稿より
人は老いる。そしてその先には死が待っている。若い頃には考えたこともなかったそれらがひしひしと迫ってくる。私より一回り二回り多い先輩たちは、その思いがさらに切実であるだろう。 人はひとりで生まれひとりで死んでいくというが、よき人との出会いと毎日の生活を大切に暮らしていきたい。
人間は生・老・病・死の四苦を背負っているとお釈迦様は説いている。
もうすぐ80歳を迎える私の妻も最近はもの忘れが多くなり、病院通いを始めるようになった。
その時は私も付き添って行くことにしている。
今のところ日常生活に大きな支障はないが、大切なものをどこにおいたのか思い出せないなどは珍しくなくなった。
先日も調剤してもらった薬を、その日のうちに紛失してしまった。
昔から長寿はめでたいこととされているが、今後の暮らしの中では、不都合なことにもいろいろと出会うことだろう。
私の人生は出世などとは無縁であったが、妻はそのことを一度も口にしたことはなかった。
下積み労働者としての私の生きざまを黙って支えてくれた。
世の中には人を押しのけてでも地位や肩書きを欲しがる人も多い。
世俗的な価値観を捨てることはそれなりに寂しさを伴うが、私の道づれである妻は共に歩いてくれた。
現在、私たち夫婦は多くの方の「おかげ様」に支えられ穏やかな暮らしを続けさせてもらっている。
ありがたいことである。
しかし、人生劇場の幕はいつ下ろされても不思議ではない。
案外早くその日が訪れることもあるだろう。
確実に言えるのは、どんな円満な夫婦であっても、いつかは別離の日を迎えるということ。
生別か死別かの違いはあるにしろ、万が一にも避けることのできない厳粛な人生の真実であることは、誰も否定できないと思う。
世界の70億人の中から、1組みの夫婦が誕生し、共に生きるということは、人知を超えた不思議な縁だ。
まさに運命的なものが感じられる。
私たち夫婦にも、これまでいろんなことがあったし、これから何がおこるのか分からない。
それが人生というものだろう。
別れの日を迎えるまで、道づれの手を離さないように、これからもしっかりと歩き続けたいと願っている。
熊本県菊池市 松岡光さん(80) 熊本日日新聞の投稿より
人は老いる。そしてその先には死が待っている。若い頃には考えたこともなかったそれらがひしひしと迫ってくる。私より一回り二回り多い先輩たちは、その思いがさらに切実であるだろう。 人はひとりで生まれひとりで死んでいくというが、よき人との出会いと毎日の生活を大切に暮らしていきたい。